税とは何か

控え目に言っても税は経済学において鬼門だと思うのだが、基本的な考え方を整理しておいた方がよいだろうということで、メモがわりに書いてみる。

まず税に対するイメージを解体する必要がある。税と聴くとどうしても権力により強制的に奪われるもの、というイメージがある。ある意味では間違ってはいないけれども、現代社会は民主主義によって運営されており、また税を納めた結果実施されるサービスの恩恵を受けていることは疑いようのない事実である。普段は意識しなくとも、警察が治安を維持してくれるのも、近くの公園が整備されるのも税があるから実施できる。単に奪い去られるものという先入観は捨てねばならない。

細かい話を抜きにすれば、税とは収めたものが回りまわって返ってくるのであり、金額単体ではプラスマイナスゼロである。違いは、使い道を自分自身で選べないことにある。あなたは貧乏人に寄付をしたくないと思っているかもしれないし、軍備にお金を使うべきではないと考えているかもしれないが、生活保護や防衛費に使われてしまう。

通常、経済学では自分自身でお金を使えることが重要だと考えられている。なぜなら、政府が各個人がどのようなものを好むか知るすべはもたないからだ(もし持てたとしても行使すべきとは思えないだろう)。政府が使うのではお金を効果的に利用することができない。

ではなぜ、政府が税を徴収して使うことが正当化されるのだろうか。経済学では、その根拠を市場の失敗に求める*1。市場の失敗とは、不均衡(寡占や独占)、外部性(公害など)、公共財(フリーライダーの存在)、情報の非対称性(年金など)のように市場が有効に機能するのを妨げる様々な要因のことを言う。市場が有効に機能しないような場合には、政府がそれを正すことが可能なのであり、税を取ることが正当化できる。

税と言うと、まずどこからどのようにして取るか、という議論になりがちであるが、誰から取って何に使うかということは非常に重要である。税金などないならないに越したことはないのであり、税金を納める以上、有効に使われなければ意味がない。

さて、どのような使途が良いかについては説明がついたが、徴収に関してはどうだろうか。使途が決まっているとするならば徴収しなければならない額は決まっているのであり、あとは誰からどのようにして取るかという話になる。

まず考えられるのは、経済学的な効率性を損なわない方法である。よく教科書で窓税の存在により窓の数が減ったという話が出てくるが、酒税によって本物のビールではなく発泡酒が売れるなどもその例である。

このような問題がおこらない税には二種類ある。ひとつは人頭税など税の存在が行動のインセンティブを妨げないもの、もうひとつはタバコ税や環境税のように社会にとって好ましくない負の外部性にかけるものである(後者はピグー税と呼ばれる)。しかし、後者については徴税の結果、負の外部性は減っていくことが望まれているのであるから、税収としてはあまりにも頼りない。また、前者は国民全体が同じ所得水準ならともかく実際には貧困者に死ねと言っているに等しく現実的ではない*2。何らかの別の基準を導入する必要がある。

問題はここからである。別の基準とは言うものの、経済学は効率以外では理論的に正しいと呼べるような基準を持たない。何らかの実証的あるいは思想的な判断基準が必要になる。軍事や警察など受けるサービスは同じなのだから同じ額を支払うべきだという考えに立てば人頭税生活保護のようなに形になるかもしれないし、応分負担の原則に従えば、金持ちからは多くの税金を取るべきという話になる。しかも、これらの方法は効率性を損なうから、費用と便益を考えてバランスの良い方法を選択しなければならない。

現在、主流な税方式としては所得税、消費税、法人税、資産税、関税などあるが、この時、気をつけておかねばならないのは、最終的に税金を払うのは特定の個人であるという点である。最近、法人が内部留保を増やしているのだから、そこから取るべきであるという議論をよく聴く。しかしながら、法人というのは法律上存在しても、法人は効用を享受できない以上、法人に対する課税は、最終的に株主、従業員、消費者のいずれかに帰着することになる。法人税の欠点は、それが一体誰に課税されているのか明らかでないことだったりする。長期的には法人税は廃止してゆくべきという方向性だけは打ち出せそうである。

*1:厳密に言えば、市場の失敗があり、政府の失敗がない場合。

*2:過去、サッチャーが導入しようとしたが失敗した。