今年の経済書ベスト3

今年は仕事が忙しくてほとんど読めてないんだけど、Amazon アソシエイトの足しにでもなるかなという不純な動機で書いてみる。

3位 イアン エアーズ著、山形浩生訳「ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣」

ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣

ヤル気の科学 行動経済学が教える成功の秘訣

2位 ジョン クイギン著、山形浩生訳「ゾンビ経済学: 死に損ないの5つの経済思想」

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

1位 アビジット・V・バナジーエスター・デュフロ著、山形浩生訳「貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える」

貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

貧乏人の経済学――もういちど貧困問題を根っこから考える

えーっと、全部山形先生の翻訳ですね(汗)

「今年読んだ」ものも含めていいのなら「再分配の厚生分析 公平と効率を問う」なども挙げたいところですが、「今年発売」だとこうなっちゃうんだよなぁ。個人的には「幸福度をはかる経済学」にも興味ある内容がいくつかあったのだけど、前著からの差分ということもあって本としてはおすすめできない。

端的に言って、現代の経済学の状況は大きくふたつに分裂しているように思うわけです。ひとつは、DSGEを代表とするミクロ的基礎のあるマクロモデルによる理論構築、もうひとつは行動経済学や実験経済学を代表とするリアルな世界での実験に基づいた証拠に基づく経済学。

経済学と言えば、大昔からの流れである前者の方が主流であることには違いないけれど、(本業の方には異論があるだろうけれども)ミクロ的基礎のあるマクロモデルの現状はゾンビ経済学で批判されているようにあまり芳しくないように見えるわけです。景気循環が穏やかな時代には「RBC景気循環のかなりの部分を説明できる」とされていたこともあったようだけれども、もともとケインズ経済学が必要とされた最大の要因である大恐慌――そしてそれに類似した日本の長期停滞、リーマン・ショックという大不況をうまく説明できなかったり、確実な解決策を提言できないでいる(そして、説明できるとしていた人たちも、とうとう理論的に説明できないので「何もしない」ことを提唱するのが学者としての真摯な立場だと言い始めた)。

もちろん、飯田先生や矢野先生(そしてクルーグマンバーナンキも)のように、ミクロ的基礎のあるマクロモデルこそが、リフレ政策を正当化するのだ、という考えもある(リフレ政策を考えるなら、期待が扱えることは必須だろうことは間違いない)。しかし、残念ながら同分野の人々のコンセンサスがとれている状況にはなっていない。

経済学ファンの私としては、この状況をとても残念に思っている。私だって別に経済学者を腐したいわけではなく、可能であれば「ほら、最新の経済学だとこんなことがわかるんだ! ○○先生もそう言っている!」と言いたいけれど、2%のインフレ目標と無制限の量的緩和程度で歴史的には限定的な状況でしか起こっていないハイパーインフレになったり、過去に観測されたことがないハイパーデフレになったり、国債が人気すぎて日銀による買いオペが札割れしちゃったりしてるのに国債の信任が崩れて財政破綻しちゃったり、そういう極端な結論が開陳されるたびに心の底から呆れた気分になってしまう。もしミクロ的基礎を持つマクロ経済学が未だに生まれておらず、ケインズ経済学が主流であり続けていたら、政府にできることは財政政策と金融政策しかないんだから経済学者の見解も早々に収束し、日本はもっと早くデフレから脱却し景気回復に向かっていたかもしれない。

ミクロ的基礎を持つマクロ経済学は、もしかすると『「スクラッチから書き直すことに決める」ことは絶対やってはいけない』だったのかもしれないと思うこともある。ケインズ経済学がアドホックな仮定とブラックボックスの塊であることは全マクロ経済学者の意見の一致するところではあるけれど、用法用量を守れば結果は意外と現実に即していた、というのもまた事実だろう。片っ端から糞な設計をひっくり返して行けば、いつかはより良い結果が得られるかもしれないが、そこに至るまでは手酷いバグの山に悩まされることになる(その新規性のある結論とやらはただのバグかもしれない!)。

まぁ、正直な話、習得コストの割に私にとってベネフィットが小さいミクロ的基礎を持つマクロ経済学には食指が動かないわけです。まぁ、あと20年くらいしたら議論も収束すると思うので、それからでいいかな、と。別に経済学で飯食ってるわけでもないので。

で、個人的により関心あるのは後者の「証拠に基づく経済学」の流れなわけです。こちらの良いところは、「場合によっては明日から使えるかも」と思わせること。

例えば、ここ数年来体重の増加に悩んでいるわたくしとしては、3位に挙げた「ヤル気の科学」で提案される方法論を参考にせずにいられない。「ヤル気の科学」では、行動経済学で発見された「双曲割引(将来よりも直近を重要視してしまうという理論。例えば、喫煙が寿命を縮めることがわかっているのに、喫煙をやめられない、とか)」とその対処方法としての「コミットメント契約(やるべきでないことをやってしまった場合には自分に罰を下すなどの契約)」を具体的な事例に沿って紹介している。双曲割引もコミットメントも行動経済学の本を何冊か読んでいるのでもちろん知っているわけだけれど、やはり具体的な実践となるとなかなか難しい。でも、この本では筆者の持つ豊富な調査事例や様々なノウハウが紹介される。ふむふむ、ほとんどのダイエットはすぐにリバウンドしてしまうので体重を維持するインセンティブを設定する必要がある、とか、ダイエットはせいぜい体重の一割程度しか出来ないので無理な目標は立てるべきではない、とか。これを読んで来年から毎月1キロ痩せなければ某党に一定額献金しようか、とか真面目に考え始めている有様だったりする(意外に乗せられやすい性質なんです)。

本当に実現できるかは別として、例えばシステム開発であれば、お客が要件を決めなくて工数オーバーになって困ることが良くある。だったら、「基本設計後、ユーザテスト終了までに出た要件で要件定義書にも基本設計書にも書かれていないものを実施する場合は、両社の折半とする」という契約を結んでみるなんてどうだろうか。お客は当初の予算枠を超えて困ったことになるので、できるだけ要件を先に出そうとするだろうし、SIer側も漏らすと半分負担しなければならないので要件を漏らさないように設計書に書こうとするだろう――もちろん、私は開発プロジェクトの実態を知っているのでそううまくはいかない点がいくつか思いつくけれど――と、いったアイデアに結びついてくる。

2位の「ゾンビ経済学」は、一見すると「証拠に基づく経済学」とは違うように思えるけれど、事例に基づき様々な経済理論が現実に成り立っているのかをテストするという趣旨になっている。

同書の第2章「効率的市場仮説」、第3章「動学的確率的一般均衡(DSGE)」で共通して問題視されていることとして、人々は合理的期待仮説から予想される行動をしていないということだ。

以前、「経済学は何であって何でないか」というエントリに書いたように、経済学では必ずしも非現実的であることが悪いことではない。ある状況における最適行動を考えることで資源を最大限有効に使おうという趣旨なのだから、現在の人々が最適行動していないじゃないか、というのは批判とはなりえず、最適行動するように仕向ければ良いだけだ。

合理的期待仮説にも同じことが言える。とはいえ、仮定が強すぎるという批判が昔から根強い。しかし、私には仮定が強すぎる以上の問題があるように感じられる。

その理由としては、行動経済学が示すように人間には“ハードウェアとしての物理的制約のため”最適に行動できないことももちろん考えられる。しかし、むしろ合理的期待仮説による最適化行動は現実の人間にとっては必ずしも合理的ではないということもあるのではないだろうか(人々が直面する確率分布はほとんどの場合、自明ではない。そのような状況では、答えがないのだからヒューリスティクスにより判断するしかないだろう、とか)。

第5章の「民営化」の項は、ミクロ経済学者や経営学者が大好きなカイゼンがいかに上手くいかないか、ということを事例ベースで説明しており大変面白い。この点に関しては、「世界経済を破綻させる23の嘘」と並べて読むと良いと思う。

結局のところ、市場が効率的なのは多くの試行錯誤が行われ、成功者が生き残り、失敗者が退出する、というなので、民営化すれば効率的になるわけではない。うまくいく時もあれば失敗する時もあるということなわけだ。この章の教訓は、民営化するな、ではなくて政治制度や社会制度も試行錯誤して作り上げていくしかないのだ、ということなのだろうと私自身は思っていたりする。

1位の「貧乏人の経済学」は、経済学徒が行いがちな経済学の理論による大上段の議論では貧困な国や貧困者を救うことができない現実を示し、ひとつひとつ事例を示しながら、どのような対策が有効でどのような対策が有効でないのかが示される。

前述のように経済学はインセンティブに基づき最適行動を考えるけれども、行動経済学は人間のハードウェアとしての制約に着目し制約があることを示すことで、逸脱を説明する。他方、幸福の経済学では、経済学が前提として置く顕示選好(人々の効用関数は実際の行動に表れる)と人々が心のなかに持っている幸福関数との差を明らかにすることで、顕示選好では不十分なことを示す。このように、人々が最適行動しないのにはそれ相応の理由がある(場合もある)ということ。

そして、本書で紹介される「ランダム化対照試行」では、良いインセンティブをもたらすとされることを“実際にやってみて”その結果がどうなるか調べてみるという方法論を取ります。すると、通常の理論では除外されている様々な要素がインセンティブとして働いているため、当初予想したような結果をもたらさないことがわかったりする。理論自体が間違っていなくても、現実に適用してみたら見逃していた別のロジックがそこに介在していたりするわけだ。

私がいるシステム開発業界でも「生産性が○倍に!」みたいなうたい文句の製品は多数あるが、実際に使ってみると融通が効かず、フルスクラッチで作ったほうがましなんじゃね、的なこともよくあるが似たようなものだろうか。

経済学は長らく「実験ができない」学問であると言われてきたが、このように地味ではあるものの、状況は改善する方向に向かいつつある。この流れがどんどん拡大して(あわよくば本流の経済学と合流して)いくことを期待したいものです。