「マクロ経済から公的年金を考える その2」について

bewaad氏のblogにて早くも「マクロ経済から公的年金を考える」の二回目連載が掲載されている。

数点、異論があるので書きとめておく。

まず、積立方式の欠点として「一般に公務員が民間人よりも事業運営が上手ということはありませんので、非効率な運用になる」という点が挙げられているが、これは賦課方式だろうと同じではないのか。結局、運用の失敗は原資の減少をもたらす以上、どこからか補填するしかない。純粋積立方式だともってくる先がないが、賦課方式だと現役世代から通常の方法で奪い取れるだけの話でどちらにデメリットがあるかという話ではないような気がする(政治家からすれば、賦課方式の方が良いだろうがマクロ経済的には関係ない話である)。

また、公的年金だからといって必ずしも公的機関が運用する必要はない。一般人が民間の投資機関に運用を委託するように、政府は年金費用の徴収だけは行うが、その後は一定の条件下で民間に投資を委託することも可能である。積立方式で求められる利率は低く、民間の年金運用機関にとっては多額の資金が運用できるという利点を考えれば、実際の運用実績との差分に応じたインセンティブを与えさえすれば非効率な運用は防ぐことができる(のではないかと思っているので、とりあえず問題を提起してみる。実際にはそうならないかもしれないので議論が必要)

そして、保険料方式であるが、保険料方式であるからといって徴税機構を使わない手はないのではないか。実質的に保険料方式であればよいのであって、徴収自体は「国民年金保険税」として徴収することができる。

議論を進めるうえでの提案としては、年金問題でもプログラミング同様「インターフェイスと実装を分離せよ」ってことになるのかな?*1 そういう意味で、保険料方式、税方式という呼び方は誤解を招く。むしろ、「脱=「年金依存」社会 (別冊環 (9))」の広井氏が「年金と新しい社会モデル」に書いているように「社会保険タイプ」「基礎年金タイプ」と呼ぶ方が適切なのではないか。

*1:[追記]ここの例は不適切な気がしてきた。むしろ「別の役割には別のインターフェイスを用意せよ」か