なぜ私はDvorakを擁護するのか

いや、別にDvorakを擁護するつもりはないんですけどね。

ただ、Dvorakの否定がQwerty経済学の否定に即繋がるのかどうかという点が気になっているのです。ゴキブリ28号さんは以下のように書いている。

普通のQwerty経済学は、1)について現状よりも優れた方式があり、かつ、2)が大きいのでたとえスウィッチングによって大きな効率性の改善が見込めたとしても、2)の存在によって阻止されてしまうとします。
(中略)
1)についてもしも二つの方式が効率上無差別ならば、全体の議論が成り立ちませんから。

しかし、この議論を逆説的に考え、もしQwerty経済学が成り立たないならと考える。この際、実際にQwertyキーボードが市場を占有しているわけだから、Qwertyキーボードよりも有意に優れた文字入力は現在のところ存在しないということになる。

しかしながら、ヒューマンインターフェイスに関する研究は50年程度の歴史があり、当然Qwertyキーボードに変わる様々な文字入力装置が提案されてきたものと思われる。だが、前述の通り現実にはQwertyキーボードが市場を占有している以上、過去の文字入力装置研究においてQwertyキーボードより有意に優れたものなど存在しなかったということになる*1

ちょっとこの結論は納得できない。むしろ、過去50年間、様々な研究があったにも関わらず、19世紀に発明されたQwertyキーボードがいまだに使われ、1930年代に発明されたDvorakキーボードがその対抗馬として祭り上げられているその状況こそ、Qwerty経済学の証拠なのではないか。そう思っているわけである。

*1:まぁ、この分野の研究は面白ければOKという風潮があるので、実際にそうである可能性は否定できないのだが(笑)