続・反経済学的に考える

梶先生の日記にて、アカロフ先生の講演メモが連載されているが、その中に下記のような記述があった*1

また、Bewleyによる工業経営者へのインタヴュー調査からは、経営者自身名目賃金の切り下げには消極的であるという結果が得られているが、その理由は、「名目賃金を切り下げると労働者のモラルや帰属意識がが低下するから」というものであった。また、Shillerによる調査によれば、「たとえ物価が同じ程度上昇していたとしても、給料が上がっていたほうが(一定水準にあるより)大きな満足度が得られる」というステートメントに一定の賛意を示す回答者が全体の49%を占め、ステートメントに「全く同意しない」という回答は27%にしか過ぎなかった。

Shillerの調査で興味深いのは、経済学者を対象に同様の質問を行った場合には、全く異なった結果が得られたことである。回答者である経済学者の約90%が上記のステートメントに対して、何らかの形で否定的な意思表示を行っている。このような結果は、名目価格(賃金)の水準が経済主体に与える影響についての経済学者の思考には、一般的な人々の思考方法に比べ、大きなバイアスが存在しているということを示している。このような経済学者と一般人との間における認識ギャップは、自然失業率仮説の前提-モデルの中の経済主体がすべて経済学者のように実質タームでの価格の動きに反応する-を覆すのに十分な根拠である。

例の議論で私が出したような論点がこうやってアカロフ先生から提示されるというのはうれしい限りである。

何か物事を考える上で経済学というツールが非常に切れ味が鋭く有用だと思う反面、物事を一面的に捉えすぎている部分もあるのではないかと思うことがある。特にインフレに関する経済学者とその他の人々の意識の隔たりは余りにも大きく、経済学的にはたとえ10%程度のインフレ率であっても人々の生活にはたいした影響を与えないにも関わらず、上記のようなアンケートや幸福度調査などからは明らかにインフレへの嫌悪感やバイアスが検出される。

経済学者は、経済学的知見に照らし合わせて世間知と専門知に隔たりがある場合、経済学的知見を持たない人々を非難する。その批判は概ね正しいわけだが、場合によっては単に経済学者が何かを見逃しているだけであるということもあり得る。そういう意味で、私は幸福の政治経済学から得られたデータと経済学的知見とにギャップがある場合、その経済学的概念の利用には慎重になるべきだし、より詳しく検討が必要ではないかと思っている*2

*1:反経済学のトラックバックを送られても迷惑だと思うので、リンクはしていないが……このサイトに来るような人はだいたい読んでるから問題ないだろうなぁ。

*2:誤解を招くといけないので念のため書いておくが、リフレ政策は経済学、幸福の政治経済学の双方において支持可能である。