山形浩生が「さおだけ屋……」に喧嘩を売って負けたらしい

山田真哉山田優ペンネームである」とか書いたのか? と思ったが、単に「さおだけ屋……」を読んで、会計もわかってねーくせに会計士なんて名乗んなよとかなんとか書いたことが原因のようだ*1

で、おそらく普通であれば山形はやっぱりクズだね!……なんて展開になるわけだが、実は山形浩生のファンなのでそんなことを言うつもりはさらさらない。いや、懲りずにこういうことを繰り返してくれた方が、ファンとしては非常に安心して見ていられる。大人になった山形浩生なぞ誰も期待していないのである。

しかしながら、山形浩生が「さおだけ屋……」みたいな批評するに値しない本のことで能力を浪費するなぞ馬鹿馬鹿しいことだ。そんなもの、放っておけばいいのに。

私は決して山田真哉が会計のことをわかってないなどとは思わない。本来、企業向けの事柄を日常生活に置き換えたことにより、記載内容に違和感があるのは事実だ。しかし、件の本は電車の吊り革広告みたいなもので、そもそも会計の真髄を伝えようとかそういった類の本ではないだろう。「さおだけ屋……」は会計に関心をもってもらう、その一点を目指して書かれた、そういう本ではないだろうか。

このような本のつくりは姑息だろうか。いや、そんなことはないはずだ。どんなに優れた理論や考えも人に伝えられなければ存在しないも同然である。自分の考えや理想を他者に伝えるための努力を惜しみながら、なぜ理解されないのかと嘆いたところで、それは当然の結果だ。

であるならば、山田真哉があえて会計書で通常行われる多くの基礎的な説明を捨て一見会計の書籍にすら見えない本を売り出したことは極めて真っ当なことだと思う。おそらく「さおだけ屋……」のヒットの結果、様々なメディアで取り上げられ、今まで会計から縁遠い人々にも会計という概念が欠片程度は伝わったかもしれない。人々が対象に対する正しい認識やポジティブな認識を基盤として持っていれば、より同種の概念を受け入れは容易になるだろう。

現在の経済学に対する根強い偏見を考えれば、これが如何に重要なことかは明らかではないだろうか。

*1:Amazonの書評しか読んでないので、本当の理由はよーわからんが