橘木俊詔著「格差社会―何が問題なのか (岩波新書)」を読む

うーむ、いまいち乗り切れない。橘木氏の「日本のお金持ち研究」が面白かったので期待したのだが、橘木氏の主観的な主張が多いすぎる気もする。

そもそも、問題設定に不備がある。まず、格差が問題だというのであれば、なぜ格差が問題なのかを説明しなければならないだろう。国民の全員が何不自由のない生活をしながら、なおかつ超金持ちが存在するような状況下でもなお格差は問題なのだろうか。どこで読んだのか忘れてしまったが、人々が格差を実感するのは低〜中所得者層の格差が開いたときであり、高所得者層だけが増えているような状況下では格差を感じないという話が書いてあった。たしかに、相対的所得仮説に実証的な裏付けがあることを考えれば昔から知られていた話であるとも言える。

内容的にも説得力に欠ける部分が多い。

たとえば、p23ページに「ただ、図をよく見ると、○四年で高止まりとなっていて、ごく最近になってホームレスが減少していることも読み取れます。これは東京都が自立支援策を行った結果、ホームレスが若干現状したと考えることができます」と書いてあるが、同書に掲載されている失業率のデータを見ると同時期に失業率が減少しており、単に景気が回復基調にありホームレスのうち一部が職を得て住居を得ることができたと考えた方が自然に思える。都の自立支援策でホームレスの5分の1が自立できたとはとても思えない。また、p34でも「二○○三年から○四年にかけて、ジニ係数が全世帯、高齢者ともに上昇しているのがわかります」と書かれているが、その前数年と比較すると横ばいにしか見えない。

p45-46のタクシー運転手の問題は「「小さな政府」を問いなおす (ちくま新書)」に書かれている通り、タクシーが自由化され賃金の下がったことではない。低い所得とわかっていてもタクシー運転手にならなければならないことが問題のはずだ。p49の「景気回復が見られても、非正規労働者の数が減少して、それが雇用における格差を解消に向かわせると期待することは難しい」というのも不適当である。景気がよくなれば人手が足りなくなるので、相対的に熟練度の低い人でも雇用したいという需要が出てくるし、利益が出て余分に人員が雇えるようになれば将来の需要増加に備えて社内での人材育成を行うようになるはずである。p79の最低賃金規制の話も最低賃金規制がむしろ失業率を上昇させることを考えれば変な話である。橘木氏によれば、失業率を上昇させる証拠はないとのことだが、パイが同じなのに賃金だけが規制されるのだから、どこかしら歪みが生じているはずである。それを明らかにせずに最低賃金規制を正当化することは難しいのではないだろうか。

p174の企業誘致で地方を活性化させるというのも、全体のパイを見ない考え方で納得できない。

しかしながら、見るべきところもある。

橘木氏によれば経済効率を上げてパイを増やすことが常に社会全体の利益を高めることではないと主張している。前述の「日本のお金持ち研究」にも書かれていた「Winner-Take-All」モデルである。たしかに、イチローと巨人の選手と阪神の選手では年収ベースでそれぞれ10倍近い開きがあるが、ではイチローの能力が阪神の選手の100倍あるかといわれればそんなことはないだろう。賃金の格差は能力の格差よりも遥かに大きい。また、「日本において高所得者が高い税金を取られても、勤労意欲を失ったという実際の証拠はありません」という指摘は重要である。おそらく、もっと累進性を高める余地があり、貧困層の所得の底上げが可能であろう。貧困層への無償援助により発生する労働のインセンティブの低下が心配ならば、負の所得税の導入など検討してみるのも良いだろう。

また、大学の学費の高騰や学校設立の自由化は、確実に階層の固定化を生んでいるように思える。「能力別クラス編成は学力を高めない」という実証研究などを踏まえ、教育制度の自由化に関しては慎重な検討が必要なように思える。

やはり、全体的に小手先のせせこましい話題が多いのはいただけない。今が好景気なのであれば小さな問題を潰していくのは良いことである。だが、今はそういう時期ではないだろう。嵐に巻き込まれている最中にスプーンの汚れを気にしても仕方がないのである。

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)

格差社会―何が問題なのか (岩波新書)