寄付優遇税制は実施すべきだろうか(条件付きでYes)

ここ10年ほどテレビからすっかり離れてしまったのだが、2009年に終了したTBSラジオ「ストリーム」の「コラムの花道」ポッドキャストをきっかけにラジオは良く聴くようになった。今は小島慶子 キラキラDIGで一日の結構な時間が費している気がする(どちらもポッドキャストがあるので聴き逃しても大丈夫な点がうれしい)。

前回の木曜DIGで「自殺の現状と対策はどうなっているのか?」、金曜DIGで「日本の美術館はいま」という対照的なテーマを扱っていた。ボンクラ総理として活躍中の菅総理の言葉にそうならば、前者は「最小不幸社会」への取り組み、後者は「最大幸福社会」への取り組みと言えるだろうか。

「日本の美術館はいま」の中で、金沢の21世紀美術館館長と(なぜか)大橋巨泉がそれぞれ欧米と日本の美術館の違いについて語っているのだが、特にアメリカでは寄付優遇税制のおかげで金持ちや企業が美術品を地域に寄付する形が多いようで、メトロポリタン美術館が所有している美術品の多くはそういう経緯によるもののようだ。

さて、本題。日本にも寄付優遇税制を行うべきだろうか。しかし、この問いを考えるには、それ以前に重要な点が議論されなければならない。それは、政府は芸術に税金を使うべきだろうか、という点である。

ハンス・アビング著「金と芸術」によれば、政府の芸術への支出増は、芸術産業への参入を増やすだけで質の向上にはほとんど繋がらない。また、参入の増加は、芸術の供給過剰を生み出し、芸術産業の平均賃金の低下を招いているとの結論を出している。

経済学の常識的な議論に従えば、政府にとって人々が何を望んでいるかを知ることは極めて難しく、だからこそ産業政策など行わず市場に任せるべきである。この議論を芸術に当てはめるならば、政府は芸術に何ら関与すべきではないだろう。政府が美術館を建てるお金を失業対策に使えば、おそらく数百人の命が救えるだろう。芸術に税金を使わず、もっと良い使い方を考えるべきではないだろうか。

この議論には非常に説得力がある。しかし、一方で大きな問題もはらんでいる。なぜなら、現に社会では、判断の付きづらい価値に政府がお金を払うことをそれほど問題視していないからである。例えば、大学の文学部に税金を費やすべき合理的理由は極めて考えにくい。しかしながら、日本中の大学から文学部を廃止すべきであると方針には多くの国民が理解を示さないだろう。同じように多くの人々は政府が芸術に税金を使うことを支持しているようである。

ここで最初の話に戻る。もし、政府が芸術に税金を使わざるを得ないならば、政府が直接芸術品や芸術家に援助するよりも、寄付金優遇税制を拡充すべきだろう。政府にはより良い芸術を見分けるインセンティブがないが、社会の名声を得ようと考えている金持ちや企業にはそのインセンティブがあることを考えると人々がより望む芸術を選ぼうとするだろう。そして寄付という行為は、それ自体が満足感を高めるという正の外部性すらもたらすだろう。

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

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