解雇規制緩和についての疑問

どうも日本の経済学者は解雇規制緩和が大好きなようなのだが、実のところそれほど根拠があるようにも見えない。きっと異論もあるだろうけれども、だいたいこんな感じの話なんじゃないの、と思ってることを書いてみようと思う。

経済学者が解雇規制緩和を好意的に扱ってしまうのは、市場主義は善であるという古典派的発想、あるいは、労働市場の硬直性が不況をもたらすというケインジアン的な概念のいずれかがベースにあるのだろうとは思う。しかし、「労働市場流動性が低い」という話から「解雇規制緩和が必要」という結論に安易に飛びつきすぎのように感じる。労働市場流動性が低い場合、解雇規制緩和のような雇用者側の制度改定だけでなく、労働者側に流動性を高めるインセンティブを付与するという方法もあるし、自由意思を尊重するという経済学の根底にある哲学を鑑みればそちらの方がより適当ではないだろうか。

具体的には、転職しても不利にならない年金制度への移行や病気や出産などで年単位での休暇をとっても不利益を被りにくくする制度の充実などが挙げられるだろう。個人的にも、転職がしやすくなる意味で労働市場流動性が高まるのであれば、会社内の風通しも良くなることが予想されるし、再チャレンジを容易にするという意味でも歓迎すべきことのように思う。

しかし、現在のように労働市場の需給が十分にマッチしていない状況で解雇規制を緩和すれば失業が増えることが容易に想像できる一方、経済が著しく効率化されたり景気が回復したりする証拠は十分にないように思える。リーマン・ショック後の状況がそうであったが、欧米のように日本と異なる解雇規制を持つ国々であっても同じように不況が発生している点を見ても、解雇規制のような瑣末な話で解決できるような問題とは思えない。端的に言って、賃金や雇用といった人間が関係する諸制度は、現実空間ではそもそもの話として効率化が困難(賃金はせいぜい年一回しか変わらないし、解雇と雇用が日単位で決定されるようなこともないし、失業者という在庫を廃棄することもできない)なのであって、そこに解決方法を求めても根本解決は不可能であろうと思う。

雇用の流動化は、景気が回復し需給がタイトになり、正規雇用、非正規雇用というふたつの生き方が選択肢として釣り合う状況になったとき、放っておいても勝手に実現するだろう。そして、その状況にしたければ、労働市場を直接的に操作するよりも、金融政策によって資本市場を操作する方が遥かに簡単なのである。