「幸福の政治経済学―人々の幸せを促進するものは何か」を読む

田中秀臣先生のブログに紹介されていたので、とりあえず程度の気持ちで買ったのだが、これが実に面白い。実は、先週中に一度読みをえてしまっていたのだが、これはもう一度読まねばならないと再度熟読してしまった。

かねてより幸福を得ることは人間の目標そのものであった。だが、残念なことに幸福という極めて主観的な概念を客観的に語ることは非常に難しく、例えば社会科学の雄たる経済学においては、幸福のうち客観的に語り得る「効用」という概念のみを扱い、計量においてはその行使の具体化である「お金」のみを扱うよう自らを律してきた。

だが「しかし」とこの著者らは主張する。社会学的なアンケートによる手法と心理学により得られた知見により「幸福」という概念を客観的に示せるというのだ。

基本的な手法はこうである。個人に対して「あまり幸せではない」「かなり幸せ」「とても幸せ」のような数段階の幸福度について質問し答えてもらう。そして、この結果を計量経済学的手法を用いてGDPやインフレ率、失業率などと比較することでその有意性を調べるのである。

得られた結果は非常に興味深いものもあれば、そりゃそうだと思えるものもある。

  • 加齢とともに不幸になるということはない。むしろ若者と高齢者は中年層より幸福
  • 女性は男性よりも幸福だが、その差は小さく近年消滅傾向にある
  • 健康は重要な幸福要因である
  • 独身者は既婚者より幸福度が低いが、近年縮小傾向にある
  • 高い学歴は、幸福を保証はしないが幸福度を上げる要因にはなっている
  • 外国人は、その国の国民よりも幸福度が低い
  • 途上国においては幸福と所得の間に相関があるが、先進国においては幸福と所得の間に相関は認められない
  • 失業は心理的・社会的なコストをもたらし幸福に多大な影響を与える
  • インフレは幸福に多大な負の影響を与える
  • 優れた政治制度は幸福を増大させる
  • 個人の幸福は、政治に対する意思決定の結果だけでなくプロセスの正当さによっても影響される

経済学を学んだものから見ると、一番ショックなのは「先進国においては幸福と所得の間に相関が認められない」という点であろうか。クルーグマンの言葉を引用すれば「経済にとって大事なことというのは――つまりたくさんの人の生活水準を左右するものは――3つしかない。生産性、所得配分、失業、これだけ」なのだが、少なくとも先進国に関しては生産性は国民の幸福に影響していなかったわけだ*1

それに対して失業は新古典派経済学者の意に反してやはり幸福度に大きな影響を与えているという結果がでている*2

このことは、小泉始め構造改革論者には非常に不利な結果である。国民は構造改革による生産性の向上よりも失業のない安定した暮らしを求めているようだ。本書には日本における国民1人あたりの実質GDPと生活満足度に関するグラフも掲載されているが、1958年から現在までに実質GDPは6倍に増えているにも関わらず、生活満足度は横一直線でほとんど変わっていない。しかし、よく見るとGDPの伸び率が落ちている部分では生活満足度の低下が見られる。

しかしながら、リフレ派にも見逃せない点がある。インフレ率である。経済学のどの教科書にも書かれているように一桁台のインフレは経済に微々たる影響しか与えない。しかし幸福に基づき研究してみたところ、インフレ率は幸福に結構大きな影響を与えているようだ。著者の言葉を借りれば「明らかに人々はインフレを嫌っている」。その原因としては経済的なものよりもその不安定さに対する拒否感が挙げられている。なるほどインフレ目標政策が多くの人々から非難されるわけだ。

インフレ目標の目指すところは数%のインフレであるし、結果として需給ギャップが少なくなり失業率が低下すれば、インフレによる幸福量の低下は十分相殺されるだろうことは間違いなく、この点に関しては問題視する必要はないように思う。

だがこの結果は現在の反経済学感情を説明するうえで非常に興味深い。インフレへの拒否感や固定相場制への固執などは、まさに不安定感に対する幸福の低下という現象がもたらしているのかもしれない。本書ではデフレの幸福に対する影響は掲載されていなかったが、想像するにデフレそのものに対してはむしろ幸福量は上昇しているのではないだろうか*3

本書は、反経済学者たちと同様の主張をしながらも、幸福という難しい対象にデータと計量経済学的手法により真正面から取り組んだ傑作である*4。ぜひお薦めしたい。

ただ、唯一残念なのは、幸福量保存の法則を取り扱った章がないことである。アイザック先生最大の業績を無視するとは許しがたい暴挙である。次回作に期待したい。

幸福の政治経済学―人々の幸せを促進するものは何か

幸福の政治経済学―人々の幸せを促進するものは何か

*1:そういう意味で、「クルーグマン教授の経済入門」の山形浩生による脚注は見事だ。そこにはこう書かれている。「そうは言っても、ここにはすごく大事なポイントがある。一部のすんげえ金持ち見てると、この人たちはこんなに稼いでどうすんのかなと思うでしょう。使い切れなさそう。もう金なんかあまりいらないから、趣味の世界に生きるという人もいる。ある一定水準を超えると、消費額では生活水準とかをはかりきれなくなるんじゃないか。そろそろもっと別の指標がいるんじゃないか。そう思わない? それが何だか、今はまだわからない。時間に着目すべきだ、という考え方の人もいる。情報に注目しましょう、とゆー人もいる。健康だ、という人もいる。妄想に注目しよう、という人もいる(笑うな!マジだよ。そしてかなり鋭い考え方なんだよ。岡田斗司夫が一時、これを言いかけた)。みんな一長一短(二短くらいだな)なんだけど……でもこれが見えてきたときに、来世紀の人類の方向性は決まってくるよ」

*2:大きくは書かれていないが、人間は100%の合理的期待など持っていないことを示す記載もある。自発的失業と合理的期待は、経済学の極めてスタンダードな理論でありながら、純粋に支持している経済学者を見たことがないという不思議な理論だったわけだが、それも当然のことだったと言えるかもしれない

*3:失業や倒産の増加によって幸福量は下がるが、デフレ率は小幅にしか動かず影響もすぐには国民の側にやってこないのでその関係が直感的に理解されにくいという意

*4:どうでもいいが、普段からGDPを批判したりしている金子や塩沢と言った反経済学者の面々がこの本を取り上げたという話を一向に聞かないのは不思議である。せっかくリフレ派を批判する材料が提供されているというのに