権威の恐ろしさ

由良三郎という方が書かれた「ミステリーを科学したら」というやや古めの本を読んでいたら、権威によって治療薬の取り扱いがいかに歪められたかという話が出ていた。ちょっと長いが面白いので引用してみる。

平成二年三月八日の新聞を読んでいたら、驚くべき記事にぶつかった。それは、厚生省の中央薬事審議会が、唾液腺ホルモン注射剤パロチンの老人性白内障などに対する効力を再検討した結果、無効と断じたので、この薬の製造販売は中止され、一ヶ月以内に製品は回収されることになったという発表である。

唾液腺ホルモンというのは、故東大名誉教授O博士が発見したもので、師はその化学構造も決定し、さらにそれが骨の生成を助けるなどの生理的作用があることも見出だし、それら一連の発見により昭和十九年に帝国学士院賞恩賜賞、昭和三十二年には文化勲章を受けられているのである。

その製品はパチロンという名で発売され、国内のどの病院でも採用され、広くいろいろな方面に応用されていたはずである。
……この薬に関しては、どうも理解できないことが多々あった。その一つは、それだけ立派な発見であるのならば、当然世界中の医学教科書に紹介されていなくては嘘なのだが、それから五十年近く経った今日までどんな外国の医学書にも出ていない。外国の病理学の専門家に訊いても、誰も唾液腺ホルモンというものの存在を知らないのである。

……これと同じようなことは、別の日本人学者の第研究について何度か経験している。

その一つは、臨床家なら誰でも知っているかの有名な強心剤Vなのだが、これも東大の故T博士と故A博士によって合成された画期的な薬だった。この業績にも学士院賞文化勲章が授与されている。

ところが、この薬も外国人からはまったく無視されている。それは全然効かないからだという人がいる。私は臨床家ではないので、効くか効かないかの判定はできないが、少なくとも私の知る限り年配の医師たちは、揃って無効だと断言している。

それも、公開の場所で名言したり物に書いたりするのではなくて、こそこそと陰の噂話として語られているのである。ある友人の医師は言った。「あれが効かないことは君、臨床医の間では周知の事実だよ」

いっぽう、日本国内で出版される医学書や百科事典には、パロチンも∨も必ず記載されているいずれも立派な薬のようだ。

これはいったいどういうことだろうか?

解釈は一つしかあり得ない。

O博士もT博士も、日本の学会の最高峰と言っていい権威であったから、「あれはおかしい」と思う人がいても、その疑義を口に出せなかったのである。

権威が作ったわけではないが、丸山ワクチンにも似たようなところがある。外国からはまったく無視されているという構造は同じ。あれも効かないと思ったほうが良いのであろう。

これに関連して思い出すのは、法医学の領域でやはり猛威を振るった大権威のことだ。これはどうしても実名を出さなくては話が進まない。彼も私の恩師に当たるのだが、この際だから仕方がない、言ってしまおう。

それは人も知る、故古畑種基博士である

彼は戦後のいくつかの大きな殺人事件の裁判で鑑定を行ない、被告の有罪を確定させているが、中でも有名なのは、弘前事件(昭和二十八年懲役十五年確定)、松山事件(昭和三十五年死刑確定)、財田川事件(昭和三十二年死刑確定)である。いずれも最高裁で量刑確定していたのだが、後に再審が許され、証拠不確実の故に無罪になっているケースである。その証拠とは主に古畑鑑定なのだ。

問題は、それらの再審・無罪判決までの期間がいずれも長過ぎたことだ。弘前事件では昭和五十二年、松山事件では昭和五十九年、財田川事件では昭和昭和五十九年、つまり最高裁での量刑確定後二十四年ないし二十七年掛かっているのである。

邪推すれば、その一つの大きな理由は、古畑博士の存命中には再審の判決が行えなかったのではないか、と思われる。博士が昭和五十年五月に亡くなられたので、やっと遠慮しないで彼の鑑定を覆すことができたのでなかろうか。

上の三つの事件を含む冤罪事件における鑑定ミスについては、木村康博士が、「血痕鑑定」(中公新書)という本に詳しく記載しておられる。この本の初版は昭和五十七年つまり古畑博士逝去の七年後に出されている。

邪推の上にまた想像を重ねて物を言うことになるが、この辺の事柄の時間的な関連は興味深い。

つまり、もう少し詳しく言うと、古畑博士が脳血栓で倒れたのが昭和四十六年で、弘前事件の再審鑑定が提出されたのが昭和四十八年、あとの二つの事件の最新鑑定は昭和五十二年と五十三年に出されている。

それらの再審鑑定は、いずれも古畑鑑定の欠陥を突き、容赦なくこき下ろしたものである。それを見ると、これだけはっきりした反論材料があるのならば、どうしてもっと早い時期に再審が認められなかったのか、と不思議になるが、そこが重要なポイントだろう。

つまり「権威者」が再起不能の病床に就いた途端に、発言が自由になった、という印象を拭うことができないのである。

効かない薬を止められないだけでも、十分問題だが、鑑定ミスに繋がってしまえば人の人生にも関わってしまう。いやはやまったく怖い話であるが、今ではこの状況は改善されているのであろうか。